印鑑の歴史<歴史好きのための雑学>

起源は5000年も前から

印鑑の起源は、5000年以上昔のメソポタミア地方で使われていたもので、円筒形の石の周囲に絵や文字が刻まれていました。粘土板の上でこれを転がすことによって押印していたようです。

 

当時の有力者たちが使っていたこのはんこが、その後中国、日本へと少しずつ形を変え伝わってきたのですが、欧州各地にはほとんど影響を与えることなく、サインの文化が根付きました。

 

日本での印鑑の始まり

日本の印鑑の歴史を紐解くと、現存する最古の印鑑は、歴史の教科書にも登場する「漢委奴国王」の金印です。

 

「後漢書」の記述によると、西暦57年に光武帝が「倭奴国」に対して授けた金印であるということです。現在の印鑑と逆の陰刻という手法で彫られたもので、文字の部分が深く掘られた印です。書体は篆書体で、蛇の姿の持ち手が付いています。

 

奈良〜平安時代

その後、日本で印鑑が用いられ始めたのは、奈良自体の初め、律令制度が整備されてからだと言われています。

 

中国の官印制度を模して公文書に公印が押されるようになったもので、その頃の印材は銅でした。まだ私印の製造や使用は禁じられていました。しかし、平安時代に入ると、高位の貴族にのみ私印が許されるようになり、書類のみならず蔵書などにも押されるようになりました。

 

平安〜戦国時代

その後、平安中期から末期にかけて、官印をほとんど用いない時期がありました。花押(かおう)が用いられるようになったのです。

 

戦国大名のイメージの強い花押ですが、天皇、公家や領主、武将など幅広く使われていました。花押は別名書判(かきはん)とも言われるように、判とサイン両方の役割をしています。この花押が武家社会で根付くと、平安前期まで続いていた印章制度はしばらく身を潜めます。

 

ところが、戦国時代に入ると、戦国武将たちは、花押と私印を併用するようになります。印で権威や威厳を示そうとしたようです。

 

織田信長の「天下布武」の印がよく知られてしますが、上杉謙信の「地帝抄」の印や徳川家康の「福徳」の印も有名です。また、キリシタン大名は、ローマ字を使った印章を用いていました。中でも黒田長政の「Curo NGMS」はよく知られています。

 

江戸時代〜明治時代

戦乱の世が終わり、商業が発達した江戸時代には、印鑑は庶民にまで普及します。

 

このころから、証文に用いられる印章は実印と呼ばれるようになります。現代のような印鑑制度が印鑑制度ができたのは、明治6年。太政官布告で署名に実印の捺印を併用する制度が定められました。布告されたのが10月1日であったために、現在10月1日が「印章の日」となっています。


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